ある時。
ジズに使える2体の人形は、主人を見上げて言った。
 
 
あの御令嬢は、とても善い方ですね。
 
 
 
「恋愛的苦悩」
 
 
 
赤い瞳の透き通る、ゴシックロリータの似つかわしい、
陶器を思わせる白い肌の、そして緩く巻いた長い淡青色の髪の
どこか人形めいた独特の雰囲気を持った。
少女と呼ぶべきか、女性と呼ぶべきか些か曖昧な歳の瀬の彼女。
その彼女がジズと彼に使える人形達の住む屋敷に訪れた時、メバエが言った。
それに便乗してめばえも同じ事を言ったのだ。
口に出せたのは、丁度彼女が別の部屋に居たからかも知れない。
彼らが実際に音を発すると言うことはないが、雰囲気としては仕易かったのだろう。
 
あの御令嬢は、とても善い方ですね。
 
「唐突ですね。・・・・えぇ、彼女は素晴らしい方ですよ、メバエ。」
 
礼儀もきちんとしていらっしゃいますし、それに私共にもお優しい。
 
「彼女は貴族の生まれなのだそうですよ。前に聞いた事がある。」
 
あの様な方に嫁いで頂きたいものですね。
 
「亡き身にして妻ですか。・・・・・それも良いかも知れませんね」
仮面を楽しげに拭きながらジズは淡々と応える。
何気ない会話が続く。
そこに控えめなノック音が響く。
「失礼致します」
「おや。・・・・良い夜ですね、リデル嬢」
仮面を拭く手を止めて微笑み掛けた。
今彼の顔を覆うものは何もない。首を傾げた為か銀色の短髪が軽く揺れた。
部屋に入って以来立ち尽くすリデルに、もう一度声を掛ける。
 
「・・・・・リデル嬢?」
 
しかし彼女は動かない。
まるで彼女だけの時が停まってしまったかのように。
ジズを見詰めたままで動かない。
如何したものかとメバエ達に視線を遣って、腰掛けた椅子から立ち上がる。
扉の前の彼女に近付く。
ある程度の距離をとり、そっと彼女の目線に合わせる。
そうして言葉を紡ぐ。
 
「リデル嬢?」
 
声音には僅かではあるが気遣いが含まれている。大半は戸惑い。
至近距離での声に反応して、ゆっくりと瞬く。
「どうかなさいましたか」
「・・・・・・」
肺に廻っても然程意味を持たない空気を吐き出して、リデルは目を閉じ俯いた。
 
空洞の胸には。
煩いほどに鳴り響く心。
心臓などはとうに朽ち果てたのに。
胸が痛むのは何故だろう。
あなたに触れたいと願って止まない。
 
「・・・・・・・リデル嬢、御加減でも悪いのでしたら休まれては・・・?」
 
あなたが。
私の名をその声で呼ぶ度に。
心が悲鳴をあげて。
押し潰されそうになる。
 
扉に手を着いて覗き込む形をとる。
メバエ達が小さな歩幅で近付いてくる。
「・・・・2人共部屋の用意を。私が連れて行きますから、少々急いで下さい。」
主人の命を受けたメバエとめばえは一礼をして別の扉から出て行った。
俯いたきり顔を上げない彼女を前に、彼はただ心配をするだけだ。
もう一度、と口を開いた時、漸く彼女は顔を上げた。
赤い瞳に彼自身が映る。
彼女の唇が動いて、開いて、音を紡ぎ出す。
「仮面紳士様」
彼女が彼を呼ぶ時のそれは、少なからず震えていて。
赤い瞳も気の所為か多少の潤みを帯びていた。
「初めてですね、貴方が仮面を外したその顔を、私に見せて下さるのは」
「・・・・・・・」
「いつも、いつも、仮面で隠していらしたから」
そっと。
白い手がジズの顔に伸びた。
労わるように、慈しむように、そして酷く愛しいものに触れるように。
温度のないその手を、ジズは振り払う事はせず、ただ黙って触れられていた。
 
『すきです。』
 
その、たった一言を謂えたなら。
けれど諸刃の剣である事をよく判っている。
今までの関係は続けられなくなる。
崩れて、元には戻らない。
 
ジズは何も言わない。
ただ沈黙を貫いて、目の前の彼女を見詰めているだけである。
黒い仮面を、最近外す様になった彼女を。
「初めて、貴方の・・・・・っ」
以降は震えて言葉にならなかった。
触れた手をすうっと引き戻して顔を覆う。
ぽろり。と、堪えていた筈のものがあふれだして、小刻みに細い肩が揺れる。
若しも、今ジズに寄りかかったなら、きっと優しい彼のこと。
揺れる肩を抱き締めてくれる。
そうしたらきっと、無駄に期待をしてしまうから。
「リデル嬢」
そっと耳元に囁かれ。
一度大きく肩が揺れる。
「すみません。眠って頂けませんか・・・・申し訳無い」
言葉は意図を以って耳に届く。
深く必要な時まで目覚めないような眠りに誘う。
半ば無理矢理に近い方法で引きずり込む。
「お眠りなさい」
強力な、脱力感に見舞われる。
足元から崩れ落ちるリデルを抱き込む形で支える。
腰元に与えた右手だけでは後ろに大きく仰け反ってしまう。
左手を肩に回し支え、腰元の右手を膝裏へ遣って抱き上げる。
「・・・・・・・・」
反られた喉元の白さを見て、自身の胸の方へ彼女の肩を寄せる。
かくんと頭が前に来て、軽く胸に当たる。
淡青色の髪がふわりと揺れる。
それを静かに見下ろしてもう一度呟く。
「・・・・・・・申し訳、ありません・・・お眠りなさい。リデル嬢。」
その表情は苦痛にも似ていた。
 
 
 
寝台の傍の、小さな机の上の小さな灯りのみの静寂と暗闇。
その中でジズは寝台脇の椅子に腰掛けていた。
その目線の先には寝かされて間もないリデル。
彼女にそっと手を伸ばして、頬に残った涙の痕をやんわりと拭ってやる。
人形達はジズが「彼女が目覚めるまで自分がついているから」と部屋から出した。
今この部屋では、沈黙だけがただ饒舌だ。
「・・・・・・・・どうして」
掠れ過ぎて吐息のみの台詞。
聞く相手は未だ眠り続けると言うのに口をついて出た、それ。
自身が眠る術を与えたと言うのに。
手を伸ばし、額に掛かる前髪を避けてやる。
少しだけ目を細めて。
 
「どうして、貴女は私などを好いてくれるのでしょうね」
 
不思議でならなかった。
そして居た堪れなかった。
こんなに素直で優しい子が、どうして。
こんなに歪んで穢れた、大人など。
「私は貴女には見合わない。貴女は私等には勿体無い方だと言うのに・・・・」
ジズの身に起きた事の全てを、リデルに話した訳ではない。
そうしたなら、きっと彼女は自分に対して絶望するだろう事は予想できる。
今迄彼女に話したことが綺麗なものだとは決して言えない。
とても残酷な事をした事も話した。
それでも、慕ってくれている。
今まで話したことの全てに整理をつけ、享受してくれている。
それはかごめの無関心さとは違う。
「・・・・・・・・どうして」
慕ってくれている事に対して。
享受してくれている事に対して。
同じ問だけを繰り返す。
髪を梳いて。髪を梳いて。髪を梳いて。
「どうして好いてくれるのですか」
 
見ていればわかる。
彼女の態度が、他人とは僅かながらに違う事。
不思議で、居た堪れず、そして哀しかった。
 
「私はね、貴女が思っている以上に汚れているのですよ」
一房掬い上げて弄ぶ。
「応えて差し上げる資格も無い」
彼女は未だ目覚めない。
それは術者であるジズが望んだそのままの事実であり、彼に逆らう術は無い。
「貴女に、言う資格も無い。」
寝台傍の灯りが僅かに揺れる。
彼女は未だ目覚めない。
あそんだ髪に口付けて、手を離す。
 
「――――――・・・・・・」
 
酷く痛ましい息が吐かれ、しかしその息にも載せずに囁いたそれ。
まるできっかけのように、リデルは直後目を覚ました。
規則正しい寝息から、すう、と大きく長い吐息に変わる。
「・・・・・お目覚めですか」
「・・・・・・・・ぁ・・」
「申し訳ありません、強制してしまって」
椅子から立ち上がって深く深く礼をする。
ほぼ同時にリデルが身を起こす。
頭を上げて此方を向いていたリデルと目が合って赤い瞳がぶつかる。
沈黙が続く。
「では、私は失礼します。ごゆっくりお休み下さい。何かあればそこの鈴を」
それだけ言っていつもの様に微笑んで、そうして部屋を後にしようとする。
今はもう、仮面をつけてしまったその顔を、リデルは物言いた気に追った。
しかしジズが部屋を出て行くまで、整った唇から言葉が発せられる事は無かった。
 
 
 
「貴方方の言う通り、とても善い娘ですよ。彼女は。」
それに対しての答えは無い。
人形達は主人を見上げて黙っている。
ジズは出て来た扉から少し離れた壁に背を預け、静かに目を閉じて、天を仰いだ。
何か遠くのものを想うように。
それは緻密で繊細な、硝子細工の如く脆い瞑想。
「こんな私には、勿体無い程に」
 
罪を犯した自分は、誰かを好くなどという事は在ってはならないのだ。
そんな権利はとうに消え果てた。
言う権利も資格もないのだ。
 
「深く黒く穢れてしまった私には、彼女に言う資格が無い」
そうだ、云えない。
例えばどんなに彼女が望んだ事だとしても、ジズはそれには応えてはいけない。
罰は受け続けなければならない。
それが罪を犯した者への報いだ。
そうしてジズは両手の手袋を外して眺めた。
何人もの血で赤く染め上げたこの手で、彼女の手を取る事等自分が赦さない。
彼女を汚してしまう様でならない。
今のジズとは、略反対と言っても過言ではない彼女を。
「貴方達は、下へ行ってお茶の用意を暫くしたら降りて行きます。彼女を連れてね」
人形達とは目を合わせずに、命令だけを出す。
それに彼等は一斉に動き出して数秒後には廊下にはジズ独りが残されていた。
 
 
「言える筈が無い」
 
 
独白だけがいやに響いて。
 
 
「言う資格も無い」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
沈黙が語りだす。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「好きだなどと」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
END
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