暗い、くらい、森の中で。
地を覆う葉陰の間から薄い月明かりの射す、その中で。
手にはカンテラ、肩には黒い外套、顔の反面には白い仮面と言った、
異様に抜きん出て目立った出で立ちの彼が立ち尽くしていた。
 
「はじめまして、黒曜の君」
 
そう言った。
目の前には暗い森の中で尚黒い棺に座り込んだ、淡青色の髪の少女。
「・・・・・・はじめまして」
初対面であるからだろう、どこか警戒している様子で彼女は応えた。
「私はジズと言う者です。この近くの屋敷に住んでいます、以後お見知り置きを」
「ぁ・・映画の女優をしております、リデルと、申します・・・・宜しくお願い致します」
「リデル嬢、とお呼びしても?」
「はい」
「ありがとうございます」
ふわりと笑って、掬い上げた手の甲に口付ける。
その時だけ張り付けた笑顔ではなくて。
 
 
本当は、最初から。
 
 
 
「白磁、黒曜に焦がれ、彼の者その心を知らず。」
 
 
 
黒の棺に腰掛けて膝を抱え込む。
夕方の冷めかけた空気が身を包んでいる。
その中で膝を抱いて顔をうつ伏せた様は、まるで自己防衛の如く。
「・・・・・・・」
そっと潤んだ瞳は遠くを想い描くように。
 
あの、夜の後。
廻ってくる仕事に沈み込むように熱中して、忙しい振りをして、彼に会わなくなった。
会うことを恐れているのだろうかと思う。
もしかしたら、もう内側に溜め込んで置けないかもしれない。
会ってしまったなら、あるだけの想いを叩き付けてしまうかも知れない。
それを恐れているのだと、思う。
 
「・・・・・・・・・・・」
伝えられないのだ。
いや、伝えずに居ようと決めたのだ。
初めて逢った時に。
 
きめたから。
 
けれど。
 
伝えたいのだと心が軋んで、訴え続けている。
内側から自分自身に向けて囁き、彼に向けて叫ぶ。
伝えてしまえと、貴方が好きなのだと。
どうしろと言うのか。
頭で思っていることと、心で想っていることが行き違いを起こす。
嗚呼。如何したら。
 
「・・・・・・・ねぇ、・・・・どうしたら・・」
 
 
 
 
すぅ、と冷たい外気を肺へと流し込んで閉じ込める。
一瞬の囲いの後、外へと流す。
あの、夜の後。
彼女とは全く連絡が取れていない。
元々彼女の職業柄、それは仕方の無い事であり、今までもそうであったのだが。
しかし今回はその長さが尋常ではなかった。
少なくとも1ヶ月に1度はどんな形であれ、何かしらの連絡があったのだ。
それがぱたりと途絶えた。
唐突に操り人形の糸が切れ、崩れ落ちるように。
すぐ傍らに寄って来ためばえに話し掛ける。
 
「リデル嬢は、どうしているのでしょうか」
 
ぽつりと漏らす主人の声に、面を上げて見詰める。
 
さぁ、そう言えば此処の所連絡が取れないようですね
 
「えぇ」
 
今までは頻繁に、でしたから、少々不安では有りますね
 
「そうですね」
問い掛けておきながら、答えになどまるで興味がない様に言う。
埋まっていた隙間が再び開いてしまったかの様な空虚感が漂う。
今まではそれをかごめやリデルが埋めていたのだ。
しかしかごめは仕事の都合上、来る事が難しくなってしまった。
リデルとも連絡が取れず仕舞いである。
「めばえ、私は・・・どうするべきでしょうか。何を、するべきなのでしょうか」
ぽつりぽつりと自分に対して投げられた問いかけに、めばえはただ静かに答えた。
あくまで冷静に。
本当は、彼女にとってどうしてやるのが最善か知っているのだが。
本当は、彼にとってどう行動するのが最善か知っていたのだが。
 
それは・・・ジズ様
貴方自身がお考えになり、そして行動されなければ意味を為さないものです
 
 
 
誰にも言うことが出来ずに。
そして自分で答えを見つけられず路頭に迷い。
リデルの心中は嵐の大海の様に混乱し、且つ混沌としていた。
「私は、どうしたいのかしら・・・・」
 
小さく独白。
 
「どうしたらいいのかしら・・・」
 
先程から独特の間を置いて繰り返されるのは果てが無い。
果てが無いから空虚になって、酷く重たい空気が積もっていく。
まるで黒い雪だ。
誰にも言うことが出来ず、自身で答えも見つけられない。
悩んだ分だけ苦しみが降って積もる様は。
自分が情けなくて。
 
あんなに馴れ馴れしく顔に触れて。
赦された気がして個の領域に踏み込んで。
きっと、嫌われたのだと。
 
そう吐露できない心が軋んで。
 
「・・・・・っ」
 
涙が溢れてくる。
 
「どうしたいのぉ・・・・っ・・・私・・・!」
 
抱え込んだ膝を、抱き締める腕はひたすら固くなるばかりだ。
黒い棺の上。
黒い森の木々の下。
押し殺しても零れる嗚咽は喉を傷める。
いっそのこと声を漏らして泣いてしまえば、ずっとずっと楽なのだ。
大きく声を張り上げて。その方が。
しかしリデルはそれが簡単に出来てしまうほど幼くも無く、
ほんの少しの声も漏らさずに、涙を流していられるほど大人でもなかった。
精一杯なのだ。
今の彼女にとって、この僅かに零れる嗚咽が。
「・・・・ぅ、・・・ぇ・・っ」
子供でも大人でさえない彼女には。
 
「・・・・ふ・・・ぅっ・・」
 
何度目かわからない息詰まりの直後。
少し離れた位置の茂みから、沈黙の中では大きな音を立て何かが居る事を示した。
それに驚いてそちらに顔を向けた途端。
 
「・・・・リデル嬢ッ!」
 
カンテラを持って黒の外套を纏い、彼には珍しい慌てた表情を浮べて。
彼女の名を大きく叫んで茂みを分け、駆け込んできた。
 
「し・・・・」
「どうしました、何があったんです、どうして泣いているのですか!?」
 
手にあるカンテラを半ば放るように地面に置き、がっとリデルの細い肩を捕らえる。
そしてその勢いのまま一息に問を発してしまう。
故に、彼女の瞳は戸惑いに揺らいだ。
 
問い掛けの勢いにも唐突さにも驚き。
どうして、彼がこんなに必死になるのか。
自分が泣く事が彼にどんな影響を与えるというのか。
それらに全く見当もつかず、ひたすら黙して途惑うだけだった。
 
しかし。
それも数秒の間のこと。
 
「・・・・・・っ」
 
一度息を詰めたあと。
次に声を張ったのは彼女だった。
 
「なんで来たんですか!どうして貴方が此処にいらっしゃるんですか!」
思いの丈を、有れば在るだけ身勝手に叩き付けてしまいそうなのに。
「な・・・」
「私は、・・・・・っ貴方から離れていなきゃ、いけないのに、何で!!」
「どうして貴女が私と距離をとる必要があるんですか!」
「だって、あんな・・・慣れ慣れしく触って、踏み入って・・・きっと・・・」
段々と声は弱まっていき、突っ掛かるような響きを帯びる。
それは涙声にも似ていて。
「嫌いに、なったんでしょう?」
 
声は震えて。
先程までの烈火のような勢いは薄れていた。
 
「リデル嬢・・・」
 
彼女の声によって怯んでいた両手を、再度彼女の肩に少しだけ力を込めて。
 
「・・・それなら・・・っ」
「リデル嬢、話を―――・・・」
「離してください!」
勢いを取り戻しだす彼女に負けじと声を張り上げる。
しかしリデルはその手を振り解こうと身動ぎをする。
いままでに彼女が見せた事も無い様な、大きな、そして決定的な抵抗。
「リデル嬢っ」
例えこの手を解いたとして、何処へ行こうというのか。
一時だけでも逃げ出そうとしているのか。
しかしここで離す訳にはいかないのだ。
きちんと話し合わなければいけないのだと、ジズはそう考えている。
例え、今の関係を壊す事になろうとも。
 
「離してッ!!」
 
しかしリデルはその逆で。
今の関係を壊したくないと考えている。
進展よりも、停滞を望んでいる。
しかし渇望するのは進展だ。
失敗したとして、壊れた関係が元に戻らない事を恐れているのだ。
いずれ話し合うことになるだろう、しかしそれは今ではないと、リデルは考えている。
この関係を壊す位なら、想うだけのままでいいと。
 
「・・・・・・聞きなさい!!」
 
心臓が震えるほどの声量で、彼は叫んだ。
話を聞かせなければならないと。
リデルはそれに呼吸が止まるような感じを受けて、目を見開き彼を見詰める。
その沈黙という間に、世界の全てが停止している気がした。
一息吐いて、気を落ち着け、その途端に彼女は俯き、彼は彼女を見詰めた。
 
「リデル嬢、私はあの行為で貴女を嫌うだなんてことはありませんよ」
そっと、先程とは打って変わって落ち着いた声で囁く。
彼女を宥めるように言葉は紡がれる。
彼女だけの為にあるように紡がれる。
「あれが初対面であったなら未だしも、貴女と私はそれなりに年月を重ねている。
お互いの、ある程度の、信用に足る年月をね?馴れ馴れしいだなんて、そんな」
 
そんなことが、あるはずない。
 
「・・・・ですから、貴女は私と距離を置かなくてもいいのですよ」
 
声は。
どこか哀愁を帯びて。
耳に心地良く、心に切なく染み入る。
 
この両の手にある細い肩を、いっそ抱き締めてしまえたら、なんて。
その権利が無い事は、しっかりと解っている筈なのに、そう思わずにいられない。
このどす黒く穢れた両の手で、清らかにして繊細な彼女を抱き締めるなんて。
出来るわけが、ないのだ。
理性が赦さない。
 
「お願いです」
「・・・・・・」
俯いたままの、彼女に。
形のいい唇を結んで小さく震わせている彼女に。
「お願いですから」
懇願、する。
「どうかそんな」
切望する。
「哀しい事を言わないで下さい」
出来る限り穏やかに緩やかに微笑んで。
死んだ身にはぬくもりなどありはしないのだけれど、感情の温かさはどうか届くよう。
そんな風に願って、優しさを掌に込めて彼女の肩を包み込む。
「私は、貴女にそばにいてもらいたいのですよ」
「・・・・そんな、期待させるようなことを言わないで下さい」
 
小さく漏らされた言葉に。
 
「そんな言葉をかけて、私に期待させないで・・!」
薄っすらと涙の浮かぶ赤い瞳で、ただ真っ直ぐにジズの赤い瞳を見詰める。
そんな言葉をかけられることが、今のリデルにとってどれだけの苦痛か。
決して報われないと思っているが故にそれは尋常ではない。
「私は、貴方の特別ではないのでしょう?だったら、そんな言葉をかけないで下さい」
 
胸が痛むだけだ。
 
「・・・・・」
 
そうだ。
この娘は。
口にした事など無いのだから。
決して言うまいと頑なに拒んでいたのだから。
私の気持ちなど、まるで知りもしないのだ。
 
だから。
 
こんなことを口にして見せるのは当然の事であって。
今心が訴えている痛みなど。
単なる感傷にすぎないのだ。
込み上げる、言いようの無い感情も、無意味でしかないのだ。
 
「・・・・・・・・っ」
 
リデルの肩から手を離して。下に降ろして。ゆっくりとした動作で握り締めて。
 
 
り。
 
 
掌が悲鳴を上げるほどに強く。強く。
黒ずんだ染みを、白い手袋に渡すほどきつく。
 
「・・・・・貴女は、何もご存知無いのでしょう?」
「!」
「私の、心の。愛という部分の。何を知っていると、貴女は言うのですか」
 
悲しみにも。
憎しみにも。
憤りにも似て、感情は渦を巻く。
 
「ねぇ。黒曜の君。」
「・・・・・仮面紳士さ、ま・・?」
その行動や言動の、普段の彼との違和感に気付く。
既にリデルが出す声には怯えの色が含まれ絶えず小刻みに震えている。
怖いとは思うの、だけれど。
しかし合わせた瞳を反らす事が出来ない。
「知らないでしょう」
赤い瞳は烈火の如く輝いて、妖しの美しさで魅せる。
「・・・ぇ」
ぐらりと世界が反転するように動いて。
気付けば意識は朦朧と。
全ての感覚はほぼ麻痺している状態に近く、あの夜の、眠りの術のような。
そんな感じが身体を支配していった。
だがあの時のように即効性ではなくゆっくりと瞼が落ちていくものだ。
その中で。
抱きかかえられて、彼の唇が耳に寄せられ。
そこで囁かれた言葉だけがいやに、鮮明に残留する記憶だ。
 
「本当は、最初から。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「貴女に恋をしていた。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その声で、私の名を呼んで。
胸には、痛々しい愛情。

 

 

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