最初から、恋をしていた。
それに気付いてはいた。
その自覚は、確かに己の中にあったのだけれど。
 
けれど。
 
伝えられないのだと、自分はそこで一時諦めてしまったのだ。
今の自分と、彼女では、立っている位置がまるで違うのだと。
こんなに穢れてしまっているのに、彼女に伝えて幸せを掴もうだなんて、
そんな事は虫が良すぎる話なのだと。
そう自分に納得させて、今の今迄ずるずると引き摺ってしまった。
だからこんな事になったのだ。
伝えなかった自分が悪い。
全ての非は自分にあるのだから、彼女に対してこの感情を抱く事は御門違いだと。
 
ジズは、きちんと解っていた。
 
荒んだ息のまま、木に背を預け、彼女をきつく抱き締めた。
 
 
 
「Love Phirosophy」
 
 
 
屋敷に戻ったジズは、強制的に意識を奪ったリデルを見詰めていた。
 
以前と同じ様に意識を奪って。
以前と同じ様に寝台に身を沈めさせて。
そして以前と同じ様に、自分は彼女を見詰めている。
 
あの時、唇に触れた彼女の髪の感触を今でも鮮明に覚えている。
ひどく愛しいと思った事も。
ひどく哀しいと感じた事も。
今までに無く空虚で不思議に思った事も。
全て鮮明に覚えていた。
故に繰り返してしまった事に対しての妙な罪悪感が拭えない。
痛々しく悩ましい溜息を細く小さく吐く。
椅子に座った足の上、祈るように組んだ手に額を当てて。
「・・・・・・・」
何も発言せぬまま、苦痛とも取れる表情でもう一度リデルを見た。
 
何故来たのだと、咎めた。
嫌ったと、そう言った。
離せと、本気で抗った。
 
それらは全てジズが言わずにいたから招いたものである。
だから、あんな風に抱いた感情を叩き付けるような真似は間違いなのだ。
言わなかったから、こんな事になった。
小さな身体に、自分の感情を押し付けて。
嫌われたのは此方の方だと、今度こそは確実だと、そう思った。
声を出さない喉が痛い。
伝えられない心が痛い。
抱え込んだのは苦痛だけを与えて解決に向かわない苦悩。
 
そうして。ふと。
 
もういっそ、伝えようか。
嫌われるならいっそ、全て伝えて。
もう二度と戻れないような、底の見えないような深いところまで進んでしまえ。
そうすればきっと、諦めもつく。
 
きっと。
 
いつまでも未練がましく居られる程、自分は子供ではない。
しかしもっと良い手段が浮かぶ程に、経験豊富な大人でもないから。
開き直ってしまえ。
 
揺らいだ瞳に苦さを含めて、視界を閉ざした。
 
 
 
酷く沈んだ眠りから覚める。
強制力の強い眠りは、身体に鉛の如き重みを残した。
身を起こす事が出来ない。
しかし些細な動きは出来る。
ゆっくりと視界を巡らせる。
そして自分の居る場所が何処なのかを把握する。
瞬時に自分の身に起きた事態を思い出す。
少しだけ頭を動かして、ジズが居る事に気付く。しかしそれ程驚きはしなかった。
以前にも彼は近くに居たし、自分の居る場所が場所なのだから。
けれど彼は何かを考えているのか、自分が目を覚ましたことに気付いていない様だ。
組んだ手を額に当てて、赤い瞳を閉ざしている。
 
「・・・・・・紳士さま?」
 
舌足らずの小さな呼び掛けは目覚めて間もない所為だろう。
リデルの目覚めにジズはやっと気付く。
「あぁ・・・」
溜息とも取れる声を出して横たわる彼女を見詰めた。
いつもの静かで柔らかな笑顔を浮べて。
しかしその表情はどこか哀愁を帯びていた。
 
 
どうしたの。
 
なにかあったの。
 
わたしのしらない、あなたのこころのふかいところで。
 
なにが、あったの?
 
 
「リデル嬢。申し訳有りませんでした、本当に。感情を押し付けてしまって」
「・・・・いえ」
 
ぽつりと短く返す。
私にも非は有ったのだから、と。
 
その言葉に寂しそうな笑顔をして、聞いてほしい事があるのだと告げた。
僅かに暖色の光の灯る部屋で静かに声は響く。
「・・・・・・貴女には、いままでに何度か話したことがありますね」
僅かな痛みと大きな決意と苦悩を抱いて話す。
解って欲しいとは思わない。
ただちゃんと聞いて欲しいのだ。
だから彼は彼女から目を逸らさずに。
聞けば誰でも嫌悪感を抱く様な酷い事を沢山して。
そしてそれを、この身体になってからずっと、長い間、半ば職業の様なものにして来たと」
「・・・・えぇ」
「人形を作る。そこに、人の魂を入れる。勿論魂を抜かれる人は心臓を抜かれる。
死ぬ程の、想像を絶する程の苦痛を経験して、永遠の命を手に入れる。
・・・・・まぁ。依頼される事が殆どでしたがね。
それでも実行したのはこの私で、だからこの手は沢山の人の血で濡れている。
時には。望み次第では、本当の死を与えた。」
 
手袋の下の、自分自身の手を見詰める。
ゆっくりと、けれどきつく。
痛みを感じるほど握り締めて、歯を噛み締める。
 
どれだけの命を奪っただろう。
どれだけの血でこの手を染めただろう。
何度、何度。
発狂しそうな、噎せ返るほどに大量の血液をこの身に浴びて。
仮面をつけて平気そうな顔をして、しかし今でもその時の断末魔は
耳の奥にこびり付いて離れない。
罪なのだと。
そう煩く訴えるのだ。
絶え間なく。
 
そっと見続けていた目を反らして伏目がちになる。
いつかの昔を思い出す。
追憶。
そうしてここからは、彼女に話していないこと。
「この手は血に汚れているのだからと、誰かに恋愛感情を抱く事を止めた。」
 
罪に等しいと、そう思ったから。
人の命を奪った手で、好いた相手を抱くだなんて。
 
「けれど。」
 
ある日。
それはそれは、唐突に。
幾ら理屈や理想を並べても、無意識に超えてしまう一線は有るのだと、実感した。
これはそのひとつだと。
 
「貴女が」
 
伝えようと。
 
「愛しくて、たまらなかった」
 
もっと早くに伝えていたら、あんな事にはならなかった?
もっと早くに出逢えていたら、こんな事はしなかった。
 
沈黙が降るような室内に、独白だけが厭に空虚に響く。
閉ざした瞳をゆっくりと開ける。
揺らぐ視界を見詰め、けれど、と半ば溜息混じりにもらす。
「もう・・・」
「その人は、望んで貴方を頼ったのでしょう?」
す、と。
リデルの細く白い指が組んだ手に触れる。
包み込む。
瞳に静かな表情を称え、重く鈍る身体を起こす。
「貴方はもう、沢山後悔して来ているのに、一体いつまで続けるおつもりですか?」
彼女の声はただひたすらに柔らかで。
静かに優しく、愛しさに満ちて。
それこそ、高名な画家の描いた聖女の様に微笑む。
その血の通わない、けれど温かさを持った笑みの形のままの唇がそっと動く。
「独りで抱え込まないで」
触れたその指先から、綺麗になっていく気がして。
「痛みを、私にください」
全て、赦される様に思えて。
 
嫌われるのを覚悟で。
自分が行って来た、今まで話した事の無い、更に深い汚い部分を話した。
嫌われてしまう事が、それが当然だと思っていたのだ。
聞いて退かない筈がないと。
それなのに。
どうして彼女は赦してくれるのだろう。
こんなに、優しいのだろう。
 
組んだ手を一度解き、もう一度、今度は彼女の手を掴んで組んだ。
祈りのように、目を伏せた。
リデルは俯きがちにして視線を逸らし、極小さく話し出す。
「ずっと、・・・・・叶う筈がないと思っていました」
その赤い瞳が揺らぐのを、ジズは知らない。
それが酷く寂しげな色に変わった事に、ジズは気付かない。
「きっと困った顔をして苦笑されて、それでおしまいだろうと。
だってその可能性は、経験上で測ればとても高いものだったから」
勝手な憶測で決め付けて、諦めて。
彼はリデルから見ればとても出来た大人で、自分は酷く幼稚に思えた。
だからこそ、大人の理論で自分の想い等流されてしまうと思ったのだ。
彼のことだから、出来うる限りリデルを傷つけないよう。丁寧なやり方で。
築き上げてきた関係を壊す事が何より怖くて、踏み込むのを躊躇った。
出逢って初めから、伝えまいと決めて。
それなのにその決意は揺らいだ。
故に戸惑い、恋を諦めて、彼から逃れようとしたのだ。
唐突に距離を置いて連絡を絶った彼女を、彼は心配した。
その彼にひどい事を言ってしまった。
 
それなのに。
 
ジズは、リデルを好きだと言った。
 
「・・・・・ねぇ、仮面紳士様」
僅かに、握られた手に力を込める。
ひどく勇気の要ることだ。これから口にする事は。
 
「私に、恋をしていたの?」
 
そう口にするリデルは俯いた顔を更に俯ける。
心に雨が降りそうだ。
じわじわと焼けるような切なさが積もる。
声が震える。うまく話すことが出来ない。
ジズが顔を上げる。
真剣な瞳をして、切なさの混じる笑みを浮べる。
「・・・はい」
 
どうしてこんなに愛しいのだろう。
 
「最初から、初めて逢ったあの時から。ずっと貴女に恋をしていた。」
愛しくて。
いとしくて、仕方無かった。
「・・・・本当に?」
「はい」
朽ちた胸には脈打つ心。
それが、痛むことをやめない。
煩い位に鳴り続けて、水が器から溢れるように、想いがそこからこぼれだす。
「私、も」
伝えずには居られない程、歓喜に震えて。
「私も・・・・・ずっと貴方が、すきでした・・・・」
涙が堰を切って溢れ出す。
ジズが宥めようと手を伸ばし、触れる寸前で止める。
暫し視線が泳ぐ。
そっと、髪に触れる。
ゆっくりと梳いて、撫でて、掬い、口付ける。食む。
そうして口を開く。唇が動いて喉が音を紡ぎ、言葉を繰る。
「もしも赦されるのなら。そして許しを得られるのなら。」
リデルの頬を拭ってやる。
「・・・・・・・・・貴女を、抱き締めたい。」
紡がれた音と言葉は真剣なもので、表情は穏やかだ。
涙に濡れる同色の瞳で彼を見る。
「お許しを、頂けますか?」
そっと投げかけられた問に再度泣きそうになる。
喉の奥が痛む。
僅かに頷く。
彼が微笑む。
握られていた手に力を込める。
「・・・・ふ」
黒色に包まれて声を漏らした。
今までに無く心地良い。酷い安堵感を抱く。
 
やっと。
 
ジズはあぁ、と至極嬉しそうに息を吐く。
「やっと、貴女に触れることが出来た」
今迄抱き締めるという行為を願って止まなかった。
壊れない程度の強さで、きつく抱く。
「やっと抱きしめることが出来た」
どれだけ髪に触れても、食んでも、手に触れても、口付けても、まだ足りない。
その溝が、この行為だ。背中に頼りない手が回される。
思ったよりも強く。
好きなのは、何もジズ独りではないのだ。
リデルも同じ位、否若しくはそれ以上に好きで居るのだ。
優しい幸福感に満たされた空気が静寂と共に密やかに、高密度で広がっている。
 
 
温かに薄く微笑みを浮べて囁いた。
 
 
「愛して、います」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
誰より愛しい君へ。
 
 
 
END
 
 
 
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