蝶が咲き誇る華の蜜を吸う時の様は。
まるで、華に口付けているようだ。
いつだったか、彼はそんな事を思って、そんな事を彼女に話した。
そして今彼女が余りに可愛らしく、華がほころぶ様に笑うものだから、
思い出してしまったのだ。
だからこんな悪戯が思い浮かんだのかも知れない。
 
 
 
「華と蝶」
 
 
 
こつん。
軽い音を立てて、額がぶつかった。
浅い吐息のかかる、瞳が近い、そんな距離で彼は囁く。
 
「ねぇ、リデル嬢?」
 
彼の両手は彼女の頬を優しく包んでいる。
そして彼女を見つめる彼の瞳も声もまた、優しく、穏やかだ。
そんな彼を直視する事を躊躇うかの様に、リデルは伏し目がちに瞬いた。
その頬は心なしか赤味が差している。
ジズは愛しい想い人に微笑みかける。
「私のかわいい、愛しいひと」
愛情を連ねる。
「貴女の可愛い唇に、口付けの許しを頂けますか?」
 
ああ。
彼はなんて意地悪なのでしょう。
 
「・・・・・・」
 
キスをしても良いかなんて、そんなこと。
訊かずに奪ってくれたらいいのに。
吐息も逃さず、声すら奪ってくれたらいいのに。
 
とくりとくりと、心臓は最早動かないのに、ただ心だけが動いている。
彼の甘やかな密事の誘いに。
「リデル嬢?」
「・・・・
「・・・え?」
ちいさく。
呟かれた言葉が聞き取れず、ジズはリデルにもう一度言って欲しいと告げた。
すると細い指がそっとジズの顎に触れ、軽く押すように力が入る。
 
「だめ」
 
顔を赤くして、上目遣いで。その目は少し潤んでいる。
彼女は自分の表情が一体どんな物か知っているのだろうか、
ジズは心中で独りごちる。
「それは・・・残念ですね」
それではキスをする事ができない。
彼は苦笑して、リデルの頬を包む手を離す。
しかしその前に彼女の頬を長い指の背で一撫で。
髪を一房すくって、今度は意地悪く微笑む。
「では貴女が、して欲しいと言うまでは、私からはしないことにしましょう」
「・・・・っえ」
「若しくは貴女からしてくれるまで。私からは一切」
そこで一度区切ってすくった髪に口付けた。
「・・・しません」
今のが最後だと言うように、焔が燃えているような赤い双眸を細めた。
彼は約束に忠実だ。
良くも悪くも、それが紳士と言うものである。
自分の眼前に跪いていた彼はすっと立ち上がり優しい笑みを浮かべた。
「お茶にしましょう、準備をしてきますから暫く待っていて頂けますか?」
「あ・・・はい」
優雅に礼をしてから、彼は部屋を後にする。
ぱたん。
扉が閉まり、足音が遠ざかる。
「・・・・して欲しいというまでは・・・してくれるまで・・・・?」
ぽつり、ジズが残した言葉を反芻する。
「キスが、欲しいなんて・・・そんなこと・・・・っ」
顔を真っ赤にして、両手で頬を抑えて、震える声を出す。
心の音は大きさを増して。
「私からするなんて、出来る訳・・・・っ!」
 
ないのに。
キスが欲しいなんて、そんなこと。
 
そこでノック音が響き、扉が開く。
彼が入ってくると同時に体を強張らせる。
お待たせして申し訳ありません、彼が笑い、てきぱきと茶の用意を始める。
それを見つめながら、ぎゅ、と手を握りしめた。
紅茶のカップが置かれ、琥珀色の液体が注がれる。
ソーサーから手が離れる。その手を目で追いかけ、手の持ち主を睨んだ。
顔は赤いまま、本の少し涙を浮かべて。
リデルの表情にジズはぎょっと目を見開いて驚き、瞬く。
「・・・・・意地悪っ」
 
 
 
彼が、彼宛の電話が入ってこの部屋を去ってから早10分。
1人で待っているのも難だから、と、めばえに彼女の相手をするように言付けた。
紅茶を飲む彼女の目の前で、めばえは茶請けを補充したり様々な事をしていた。
「・・・・・ねぇ、めばえさん」
そっと溜息に乗せてリデルは言う。
 
はい、何でしょう
 
す、と顔を向ける。
こちらを向いた彼女に僅かな躊躇いの後。
「仮面紳士様は、意地悪ね・・・私に、私にとっての難題を押し付けるの」
 
・・・・・
 
彼女に、めばえの声は届かない。
そこでめばえは筆談をする事にした。
待たせぬよう、けれど字が荒くならぬよう気をつけてメモに書いていく。
それを渡す。
『ジズ様はご幼少の頃から、悪戯をなさる事がお好きでしたので。
私ども使用人の目を盗んで何処かへお出かけに成られる事も
多々御座いましたし・・・、意地悪は私どもにとっては今更にございます。
ですがそれは、ジズ様の愛情の裏返しとも取れるのではと。
差し出がましい事ですが・・・』
「愛情の裏返し?」
『然様で御座います。そもそも殿方と言うものは、
好きな女性には意地悪になるものなのです。
ですからその、リデル様にとっての難題と言う物は、
おそらくジズ様がリデル様の事を想い過ぎての事かと』
そう言うめばえに、リデルはそれではと切り出す。
相談できる相手など、この屋敷の中では高が知れている。
そしてこう言ったジズに関する相談事ならば、めばえに訊くのが一番なのだ。
「では・・・では、あの、どうしたら・・・・」
彼女の必死さに、少々驚きながら答える。
ここまで彼女を追い詰めるような、何を言ったのだろうか、彼は。
『それは・・・その難題を乗り越えるしか御座いません。更に言うのであれば、
それ以上の・・・ジズ様を驚かせる事象をこなして頂かなければ』
 
出し抜くためには。
 
彼女はそう言う。
そうれはそうだろう。
そうでもしなければ、彼はきっと驚かない。
寧ろ、彼の提示した事が彼女に出来るとすら思っていないだろう。
どうしよう、そう思って顔を伏せたリデルに、更に一枚メモが差し出される。
『・・・・所で、ジズ様は一体何を貴女様に仰ったのですか?』
 
言おうか。
言うまいか。
相談に乗ってもらうには、尚的確な助言を貰うには、言うも已む無し。
 
彼女は意を決して声を出す。
「実は・・・ぁの・・・・・キス、を、拒んだら、私がするか、して欲しいと言うまで」
 
まさか
 
「仮面紳士様からは一切しない、と」
キス、の単語を口にするだけで顔を赤く染める彼女を、見つめる。
こんな純情な少女に課す意地悪がそれかと、あまりのショックに固まってしまう。
彼は確か紳士なのではなかったか。
可愛さ余って憎さ百倍の心境である。めばえは主人に対して怒りを覚えた。
幼少の頃から彼を世話してきた彼女にとって、主従関係を除けば最早彼は息子に等しい。
「・・・・?」
いっそ清々しいまでの気を一瞬にして纏っためばえを不思議そうに見つめる。
『リデル様、その様な戯言に屈してはなりません。決して屈してはなりません。
宜しいですか、その様な難題軽く乗り越えて差し上げましょう、宜しいですね?』
「え・・・」
『時に、リデル様はジズ様の弱点をご存知ですか?』
「・・・いいえ、全く。知っていらっしゃるんですか?」
『はい。・・・お耳の後ろで御座います。
そこに息を吹き掛けなさいませ、イチコロと言う物です。
耳元で何か囁くのも宜しいでしょう、それからディープキスのひとつでも
なさいませ。ばっちりです』
「ディ・・・・っ」
『精進なさいませ、リデル様。それが出来なければ出し抜く事は不可能です』
そう書かれたメモを読み終わった所でかちゃりと扉が開く。
ふわりと笑ってジズが室内に足を踏み入れる。
「今日は貴女を待たせてばかりですね、本当に申し訳ない・・・
いや、スマイルと話をしていたのに途中からユーリが電話を取り上げて
大変でしたよ。怒鳴られてしまいました」
「ユーリ様が、ですか?」
 
いつもは穏やかな、あのユーリ様?
 
そう首を傾げて問う彼女に苦笑。
そういえばユーリのリデルに対しての態度は、自分に対するものとは
正反対なのであった。
リデルは、ユーリに好かれている。
だから彼女には人当たりの良いユーリの記憶しかないのだろう。
「あぁ・・・彼は貴女には優しいのでしたね、
私は彼にあまり好かれていないようでしてね」
「まぁそうなんですか?意外です・・・お2人供とてもお優しい方なのに・・・」
 
それはユーリの場合時と場合と人によると思う。
 
とは思ったが口には出さずに、はは、と軽く笑った。
「そうですねぇ・・・ユーリも私も一様に、女性には優しいですね」
 
ジズ様の場合、少々悪ふざけの過ぎる場合も見受けられますが
 
「悪ふざけですか」
きょとんとした表情でめばえに向けて一言。
どうやらめばえと会話をしているらしい。
リデルは一瞬隣に座る男を見、そして人形を見た。
 
はい
女性に拒まれたからと言って、女性から口付けをするか、して欲しいと言うか
どちらかを選べと言うのはいささか悪ふざけが過ぎるかと
 
「あぁ」
 
あぁ、では御座いません
この様な純なお方を悩ませて・・・・酷いとはお思いになりませんか
 
「えぇ、まぁ・・・そうですね。全くと言っては嘘になりますが、
これは男女の駆け引きの内ですよ」
にこり。
至極楽しそうに笑う主人を見て、めばえは軽く溜息をついた。
それも一理あるかも知れないが。
成人男性の、まして紳士のすることではないだろう。
 
あまり苛めぬようお気をつけ下さいませ
 
「解っていますよ。私とて嫌われるのは厭ですから」
 
では
 
ぺこりと礼をしてめばえは部屋を後にする。
全く己の主人は見事に屈折して育ってしまったものだと思いながら。
 
 
 
ソファに深く腰掛け、背を背凭れに預け、天を仰ぎ、瞳を閉ざす。
そっと息を吐く。
彼は先ほどから、自分の膝に頭を乗せ、瞳を閉ざし、
肘掛に長い足を組んで預けている。
眠っているのだろうか。
そう思えるほどに、彼の吐息は規則正しく、穏やかだ。
 
すこし、疲れたかもしれない。
どうしようかと悩み続けたから。
 
膝の上の、彼の顔を眺める。
「・・・・・意地悪な、ひと・・・」
囁く。
「私には言う事すら困難だと知っていらっしゃるでしょう?」
ゆらゆらと、瞳の中の光がゆれる。
髪に触れて、撫でて。
その指先さえ、戸惑いを帯びて震えているのに。
舞踏への誘いなどで触れるのではなく、恋人として触れる事を、
今でもリデルは躊躇っている。
「誰かが来るかも知れない所では、したくないんです・・・・」
 
ほんの少し。
ただそれだけの時間も。
壁一枚隔てた先に居る、気心の知れた人にさえ。
 
「邪魔を、されたくないの」
 
すこし。
 
「本当は、いつだって、貴方に・・・・・」
 
あと、ほんの少しでいいから。
 
「我侭、でしょうか。私だけの貴方が欲しいなんて」
 
勇気があったら。
 
「ずっと抱き締めていて欲しいし、ずっと・・・・」
とくん。
どくん。
とくん。
心が、鳴り止まない。
彼と居るときにはいつもそうだ。
たとえば普通に言葉を交わしていても、ただお茶を飲んでいるだけでも。
その空間に、彼が居るだけで、リデルの心は音を立てる。
「ねぇ、それでもどうしても、貴方は私に言わせたいんですか・・・・?」
それともさせたいの?と、答えてくれるはずも無い、そう知っていながら、問うてしまう。
きゅ。
唇を結んで。
音を無視して。
 
「すき」
 
口付ける。
 
不意に、誰かの手が、彼女の頭を軽く押さえつける。
「・・・っ」
驚きはしたが、しかし手の主は暫くしてから力を抜いた。
その隙にリデルは身を起こす。
視線の先、膝の上。
ジズはくすくす笑う。
暫く呆然としていたリデルは我に返って慌てる。
「起きてらしたんですか・・・?いつから・・っ」
「最初は本当に寝ていたのですがね。これだけ近い距離で
あれだけ独り言を言われたら誰だって目が覚めますよ。
・・・・そうですね、誰かが、と言う辺りでしょうかね」
「目が覚めたならどうして起きて下さらないんですか・・・・っ」
「いえ・・・あんまり可愛らしい事を言うものだから、
起きて中断させてしまう事が惜しくて。
盗み聞きのような気がして悪いとは思ったのですが、
はは、いや、思わぬ収穫ですね」
とうとう声を上げて笑い出した彼を、泣きそうに潤む瞳で見つめる。
息を詰めて、息を詰めて。
「・・・・っ、ひどい・・・!」
やっとそれだけ吐き出す。
その拍子に、ぽろりと涙がこぼれてしまう。
それを見て、驚いた彼はすぐさま身を起こす。
「あぁ、いや、申し訳ありません、泣かないで」
「面白がっていたんでしょう!?私が、真剣に悩んでいるの・・・知ってて・・・・!」
 
でも、だからって、笑うなんて。
 
「リデル嬢、笑ったのはそう言う意味ではなくて・・・」
「触らないで下さい!」
「リ・・・」
「もう知りませんっ・・・・もう、いや・・っ」
ジズに背を向け、後半は涙声。
ぽろぽろとこぼれて来る涙を止める事が出来なくて、ついに顔を覆ってしまう。
その震える細い肩を、困ったように見つめ、手を伸ばす。
一瞬、躊躇い。
しかし、抱き締める。
「いや・・・」
「すみません、本当に申し訳ありません。・・・・泣かないで」
言葉だけの抵抗は、弱々しい。
背後から回す腕に力を入れて、髪に、こめかみに、耳に、口付ける。
背凭れ側に在る右手で髪を撫でた。
「泣かないで下さい、お願いだから、どうか」
泣かせたいわけではないのだけれど。
「貴女から、まさか本当にキスをして頂けるとは思っていなくて、嬉しかったんですよ」
申し訳なさそうな声を耳元で囁く彼を、手を外してほんの僅か振り返る。
すぐに目が合った。
「どうして、意地悪するんですか・・・」
「それは、一度くらいは貴女からのキスが欲しくて・・・
きっと正直にそう言っても駄目だと言うでしょうし」
 
心底困った顔をして、頬を染めて、だめ。
きっとそう言うだろうと安易に想像できたから。
 
「試すように言わなければ絶対駄目だろうと・・・・それも一か八かの賭けでしたが・・・」
でも。
「今は、それを、ひどく後悔している・・・」
こちらを向かせ、頬に手を宛がって長い指で涙をぬぐう。
額にも、瞼にも、頬にも。等しく謝罪と愛情を落とす。
こつり。
額と額を合わせて囁く。
眉を寄せたまま、許しを請うように。
拒まれたらどうしようか。不安に、瞳がゆれる。
 
「・・・・・キスを、しても?」
 
そっと、涙にぬれた長いまつげが持ち上がる。見えたのは煌く紅玉。
こくりと小さく頷いて。
小さく小さく答えが返る。
「いっぱい、してくれるのなら、許してあげます、から・・・・」
「えぇ、いくらでも」
 
お望み通りに。
 
「・・・たくさん、ちょうだい・・・・?」
「貴女が望むままに、望まなくても、飽きるくらい差し上げます」
 
優しいキスを。
 
そっと、唇を重ねた。
 
 
 
「・・・・・・それで?」
「・・・・・・はい?」
微妙な間のある会話が展開される。
向かい合わせになり、似たような格好でソファに座る彼らの表情は、
しかし全く相反するものであった。
屋敷の主人であるジズは湯気の立つ琥珀色の液体が注がれたカップを手に持ち、
長い足を優雅に組み、珍しく屋敷へと訪れたこの客人にこりと笑いかけていた。
一方客人である、ヴィジュアルバンドのボーカルを務める吸血鬼は、腕を組み、足を組み、
笑いかけてくる屋敷の主人に対してにこりと愛想笑いのひとつもせず、
不機嫌そうに眉を寄せていた。
「リデルは何処だ」
「あぁ、彼女は今服を選んでいるようですよ。恐らく折角招いたお客人・・・つまりユーリ。
貴方の為に、飛び切り良い服を着て迎えようとそう言う事なのでしょう」
 
かわいらしいですね
 
その服をどれにしようかと悩み、必死になる彼女の姿を想像したのか、
ジズはそう言ってくすくすと笑う。
それを見てユーリは更に整った眉を寄せた。
「惚気おって。・・・・戯けが」
「おや。幸福はお気に召しませんか?」
「貴様が幸福なのが気に食わんだけだ。・・・・リデルの幸せなら、私はいくらでも祈る」
小さく呟き、カップをソーサーに戻したジズを睨み、ふんと鼻を鳴らす。
「だが貴様があれの相手と言うのが気に食わん」
「気に食わない事だらけですね」
ポットを手に取り、茶を注ぐ。
ユーリにももう一杯どうかと勧めると、頂く、と頷き短く答えた。
「当然だ。私は貴様が嫌いだからな」
「おやおや・・・・残念ですねぇ」
カップを持ち上げ、困った表情を浮かべて笑う。紅茶を飲む。
そんな彼に、再びユーリは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
 
再度、沈黙。
 
この場にスマイルでも呼んだ方が、場が持っただろうか、と心の片隅でジズは考える。
しかしスマイルは些か、賑やかに過ぎる所がある。
それが彼の長所であり、短所でもあるのだが。
スマイルとて雰囲気が読めない人物ではないだろう。
だが彼の場合、このユーリの機嫌を損なわぬ様にわざと話を作らせない事がある。
ユーリに聞いてみたい事があって呼んで貰ったのだから、
それでは文字通り、話にならない。
沈黙の間にそれだけを考え、唐突な思いつきを装って切り出す。
「あぁ・・・・ところで、ユーリ」
穏やかな呼び掛けに対し、間髪入れずに
「何だ」
と、刺のある声が返ってくる。
穏やかなままで、しかし真摯な瞳を彼に向け。
これは真面目な話なのだと視線で訴える。
そっぽを向いていた彼も、それには気付いたのであろう。
いや若しくはいつもの気まぐれか。
はたまたきちんと聞くべき話だと察してか。
ちらり。
いつも笑顔でいるジズが真剣な表情をしているのが珍しいからだろう、
視線をこちらに向け、僅かに目を見開く。
瞬きを一度して、彼に顔を向けた。
「一度、訊いておきたい事がありまして。こればかりは貴方に訊く意外に方法が無い」
そして彼は前置きを述べた。
そして本題へ入る。
「リデル嬢の事。・・・・ユーリ、貴方は、如何お思いで?」
「それを訊いてどうする?」
「まぁ参考までに。ですが・・・えぇ、そうですね、答え次第では如何にでもなりましょう」
 
にこり。
 
赤い飾りを揺らして笑う。
 
ユーリは、彼のこの笑いが嫌いだった。
何も心に浮かべていないような、誰にもその根底を見せないような、そんな笑顔だ。
確実に、畏怖を抱かせる。
ユーリは、この男が嫌いだった。この笑いが嫌いだった。
だから笑う。
彼とは正反対の笑顔を浮かべる。
 
にやり。
 
「そうだな。・・・まぁ。言葉にするならある種の恋だ。
いや。愛だ、と言っても過言ではないかな」
例えば憧れや親愛のような。
とは決して口には出さないが、心の中で小さくぼやき、口中で言葉を転がす。
言うと安心させてしまう、それも嫌だったが、ユーリ自身よくわからないでいた。
恋愛感情に似ているが、決してそうではないような、そんな。
 
そうだ、妹がもし居たなら、それに向ける過保護なまでの情に
相当するのかもしれない。
 
愛、と言う言葉に、僅かに眉を動かす。
「ほう」
かちゃり、小さな音を立てて陶器と陶器がぶつかる。
ジズがカップを置くのと、ユーリがカップを持ち上げるのは、ほぼ同時であった。
「それは困りましたね・・・」
ふむ、と悩むように手を顎に当てる。
そうして暫くしてこう言う。
「そうですか、では、これだけ言っておきましょう」
「・・・・・」
睨むように自分を見据えるユーリに笑ってそう言い、そして、笑顔をすっと消す。
酷く冷淡な声で告げる。
 
「邪魔をするなら、容赦はしない」
 
とても冷ややかな赤い瞳で、自分とは僅かに違う色味をした
ユーリの赤い瞳を見つめる。
「・・・・・そうか。ならばその時は私も容赦はせん」
彼がどんな事をするのかは皆目見当もつかないが。
 
コンコン。
 
控えめなノックが張り詰めた室内に満ちた。
「はい」
主人の返事をきっかけに、かちゃりとドアノブがまわされ、
古い音を響かせて扉が開く。
そこには、案内をしてきたのであろうめばえと、ようやく服を選び終え、
着替えたリデルが立っていた。
めばえがリデルに入るように促し、彼女が足を踏み入れると、
めばえは一礼をして扉を閉めた。
「こんにちは、ユーリ様。お待たせしてしまって申し訳ありません」
「いや。気にするな。私は女性が美しさにかける時間を渋るような
愚か者ではないからな」
謝るリデルに、ふわりと笑ってユーリは答える。
自分に対する態度とは大違いだと苦笑するジズは、
ふとリデルの着る服に目を留め、細める。
「・・・・あぁ・・・着てくれたんですか」
「ぁ・・・はい、あの・・・これが一番、良かったので」
ほんの少し照れたように微笑む彼女に、ジズは良くお似合いですよ
と言って笑いかけた。
「ジズから贈られた物か?」
「はい」
「流石人形師と言った所か。見立ては良いな。言うのは癪だが、素晴らしい」
ふむと唸ってから、リデルを足の先から頭の先まで眺める。
誉められた事が嬉しいのか、それともジズを認めた事を表す発言が
嬉しいのか、彼女は笑う。
座ってはどうかと促され、リデルはジズから少し距離をとった隣に腰をおろした。
ジズが紅茶を注ぐ。
その手元を見つめていたユーリが、不意に口を開く。リデルに顔を向ける。
「リデル・・・・お前が選んだ相手なのだから、まぁ仕方がないが」
「はい」
「私だってその相手が選りによってこいつでなければ、
惜しみない祝福をしたんだぞ?」
ちらりとジズを見、小さく溜息を吐く。
その視線に気付いたのか、彼は苦笑をして肩をすくめた。
リデルの前に、温かな紅茶が置かれる。
どうぞ、とリデルに微笑んでから、ジズはユーリに返す。
「何もそんな事を言わなくても。それに祝福だなんて・・・
今すぐ結婚すると言う訳ではないのですから」
「戯け。結婚なんぞされて堪るか」
これまでにない程嫌そうに顔を歪めて吐き捨てた。
その会話を呆然と聞いていたリデルは、手にしたカップをソーサーに戻し、小さく反芻する。
「結婚って・・・・」
幾ばくかの静寂の間に呟かれたそれを、彼らが聞き逃す筈もない。
どうしたのかと彼女を見つめる。
何かを考える様に虚空を見つめ、しかしやがて言葉の意味を理解したのか頬に手を添える。
「ぇ、あ・・・っそんな、結婚なんて、そんな!」
頬を赤くして潤む瞳で焦るリデルをジズは覗き込む。
「おや、嫌ですか?」
「い、いやとかそう言う問題ではなくて・・・・!」
「私は貴女さえ宜しければいつ結婚しても良いと思っているのですがね」
「・・・!!」
驚いた表情を浮かべて固まるリデルに、ふふ、と小さく笑いかける。
「ウェディングドレスを着たリデル嬢はきっと可愛らしくて美しいでしょうね」
と、付け足して。
それを黙視していた客人は、彼らから目を反らして彼らに聞こえるよう、
わざと大きく溜息を吐いた。
 
 
 
 
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