「ギタリストロマンチカ」
 
 
 
爽やかな、と言うよりは少々肌に突き刺さる寒さだ。
冬と言う季節なのだから、それは仕方が無い事だし、確かに夕空は澄んでいて綺麗だ。
深い青のマフラーを巻き、愛用のギターを入れたギターバックを背負った少年は、そんな事を思いながら帰路に着いていた。
「あっナカジ君!」
自身の名前を呼ばれ、少年は振り返る。
こちらに手を振って走ってくるのは、今年同じクラスになった少女。
「・・・・サユリ」
「あはは、あーやっと追いついたー!ね、一緒にかえろ!」
楽しそうに声を上げて笑ってから、彼女は鞄を後ろ手に持ってナカジの前に立つ。
にこにこと笑顔のままのサユリを寡黙に見つめ、やがて照れたように目を反らした。
そこに盛大なくしゃみをひとつ。
「ぶぇっくし!!」
「大丈夫?最近寒いから風邪でもひいたんじゃない?」
「・・・かも知らん。もし移したらごめん」
「ううん、大丈夫よ、私こうみえても身体は丈夫な方なの!風邪悪化しちゃうといけないから早く帰ろう?」
笑顔でサユリがそう言う間にもくしゃみをする。
情けない、とぼやくと彼女は苦笑して言う。
「明日は学校お休みだから病院に行って診てもらった方が良いよ」
それには素直に頷いた。
 
 
 
受付を済ませて待合席に座る。
今朝からずっと熱っぽいことからすると、どうやら本格的に風邪をひいてしまったらしい。
「く・・・くそ・・・・・俺は風邪ごときに負けるような男じゃない・・・・っげほ・・・!」
ぼそぼそとぼやいてから咳を繰り返す。
だからかも知れない。
近付いてくる足音とカラカラ鳴る点滴の音に気付けなかったのは。
「あらぁ、顔真っ赤ねぇキミ。風邪?」
「・・・・・・っ」
あまりのだるさに目を閉じていると、いつの間に近付いたのか、下の方から声が聞こえる。
驚いて目を開けると胸の大きく開いたファー付きの赤い服に編みタイツ、挙句ロングブーツに革手袋と言う、
なんとも奇抜な格好をした女性が彼を覗き込むように屈み込んでいた。
ナースキャップをしている事から、おそらく、一応この病院の看護師なのだろう。
「最近流行ってるみたいねぇ・・・ここの所患者さん増えてるもの。
キミも体調管理はしっかりして、気をつけなきゃダメよ、今回のはちょっとしつこいみたいだからぁ」
「あ・・・あの・・・」
困ったわねぇ、と溜息を吐く彼女に対し、ナカジは意を決して声を出す。
ただでさえ風邪で心拍数が上がっているというのに、この女性が唐突に出てきたせいで更に上がってしまった気がする。
そんな彼の心境を知らず、彼女は笑顔で小首を傾げる。
「はい、なぁに?」
「あんた一体誰だ・・・・!?」
「んん?キミね、人の事を聞くときは、まず自分から名乗るのが礼儀でしょ?」
「うわ!」
ぐいっと帽子を引き下げられ、視界を遮られる。
女性はくすくすと笑い、それを見ていた周りの患者達も笑い声を上げる。
 
彼女の言う事は確かに正論だ。
無駄に恥をかいてしまった。
 
帽子を引き上げ、軽く溜息を吐く。
「・・・・・失敬、俺はナカジ。所であんた看護師なんだろ、仕事せずにこんな所で油売ってて良いのかよ」
「ナカジ君、ね。あたしはサンパウロ容子って言うの、宜しくねぇ。仕事はちゃーんとあるからやるわよ?」
ふふ、と軽く笑ってナカジを覗き込む。
「本当はもうちょっとキミと話してたいんだけど。そろそろ検温の時間なのよねぇ、もう行かなきゃやばいかも、じゃあね」
つん、と帽子のつばを押し、軽く手を振って小走りに去って行く。
彼女が去ってからは、先程までの賑やかさが嘘のように静まりかえった。
まるで嵐が去ったようだと思う。
「・・・・・変な女」
そう呟くと、受付の女性に名前を呼ばれた。
 
 
 
「風邪ですねー、お薬出しておきますから、1日朝晩2回、必ず食後に服用してくださいねー」
「・・・・はい」
カルテにその旨を記しながら医者が話し出す。
軽く笑いながら。
「いやぁ・・・最近多いんだよ、特に小さい子とかお年寄りとかにね」
「・・・・・体が弱いからですか」
「うーん。まぁはっきり言っちゃうとそうなんだけど、君達みたいな成長期の若者より、
小さい子達やお年寄りなんかは免疫力が弱くて、色んな病気と併発したりするから。肺炎になったりとかするしね」
冬は本当に怖い、と医者は言う。
正月にはお年寄りが餅を咽に詰まらせてよく搬送されてくるんだ、と。
 
 
 
じゃん、じゃじゃじゃん、じゃんじゃん。
いつものようにギターを抱えて、いつもの空き地で練習をする。
ナカジは、これを欠かしたことは無い。
もし一度でも怠けたら、スポーツと同様、すぐに腕がなまってしまうと思っている。
じゃんじゃ、じゃん。
汗をかくくらいに激しく、一層煩いくらいの音が丁度良い。
例えば嫌な事があった日だって全部ギターに載せて吐き出してしまえる。
人に八つ当たりして、他人を傷付けて自分も傷つくより、そちらの方が効率が良い。
何よりここは民家から離れている。
誰に気兼ねする事もなく、自由気ままに弾けるし、歌える。
 
「ぇ?ねぇ、そこの・・・ナカジ君?」
 
大きな呼び声にはっとする。
「・・・・・・っ」
演奏を止めて、声のした方を見ると、声から察するに女性が此方に歩み寄ってきていた。
辺りは暗く街頭も無いため、その顔はよく見えなかったが、女性が近くなるにつれ判別が出来るようになってきた。
「・・・・・容子さん?」
「あぁやっぱり・・・キミ何やってるの、風邪ひいてるくせに」
そう言って彼を覗き込む。
そうして彼の手の中にあるギターに目を留め、ギター?と呟く。
ナカジは無言のままで後ろにある木箱に腰掛け、チューニングを始める。
「キミ、ギター少年だったの?」
「・・・・・ギタリストって言ってください、俺もう17なんで。少年とかそんな年でもないでしょう」
「うふふ、あたしから言わせると17なんてまだまだ少年の域を出ないわねぇ、でも、ねぇ。
一曲あたしのために弾いてくれない?歌えるんなら歌も一緒に。そうしたらギタリストって認めてあげる」
「あんた嫌な女だ」
ナカジの隣の木箱に腰掛けた容子を、チューニングの手を休めてちらりと見る。
そうして眉間に皺を深く刻んでそっと溜息を吐いた。
再びチューニングを始める。
「うふふん自分でもわかってるわよギター少年ナカジ君」
「・・・・」
じゃじゃんじゃん。
一度音を確かめてからふむ、と唸り声を上げる。
「終わった?」
「終わりましたよ。・・・・言っておきますけど俺そんなに巧い方じゃないですよ、それに歌だって好き嫌い分かれるし」
「いいわよ、あたし音楽は耳で聞く物じゃない、心で感じる物だって思ってるもの。一生懸命ならいいわ」
「・・・・・・中々通ですね。わかってるじゃないですか、見かけによらず。じゃ、いきますよ」
 
 
 
じゃじゃじゃじゃん。
歌い終えて、弾き終えて、一礼。
「なぁんだ、結構弾けるんじゃない?因みにその歌はあたしは好きねぇ」
「ちょっとした謙遜だってわかんなかったんですか?容子さんって案外頭悪いんですね。まぁ歌を好きだと言ってくれたのには感謝します」
最も、その喋り方ではどう取っても頭が良いようには思えないが。
しかし彼女はそんな彼の憎まれ口を気にも止めず、にこりと笑う。
ナカジはその笑顔を見て僅か沈黙、すいと目線を反らして木箱に座り弦を緩めていく。
 
「俺は、今の社会が嫌いなんです」
 
ぼそり。
「あらぁ、どしてぇ?」
「そりゃあ色々物騒だし。人間は我が物顔で地球を駄目にしてる。他の動物の事とか、全然考えないでしょ」
引きずり出したギターバックを膝に乗せ、ピックを仕舞い、ギターを収納する。
チャックをして閉め。
ギターの入ったバックを膝に乗せたそのままの状態で、木箱に手をつき空を見上げる。
もうあたりはすっかり暗闇に包まれていた。
「動物が危険だって事は、つまり、行く行くは俺らも危険だって事なんですよ。それを見て見ぬ振りして。
お偉いさんはそんな事解りきってる筈でしょう。それだけじゃない、何か他の国にあっても不干渉を貫いて、
それは金が無いからだと言うけど、本当は役人がむしりとってる税金を無駄遣いしてるから無くなるだけなんだ」
「あぁ・・・・年末によくやる工事とか?」
「そう。あんなもん必要ないでしょ、対して道が悪い訳じゃないのにやたら工事したがる。そんな金があるならもっと有益なことに使えってんだ」
空を見上げたままふん、と鼻を鳴らして悪態を吐く彼を、彼女はくすくすと笑う。
そうして同じ様に空を見上げる。
彼は何が可笑しいんだと憮然として彼女を見つめる。
「昔は、ね」
ふと、容子は遠い目をして呟く。
「あたしが小学校低学年とかそのくらいかなぁ・・・今も都心に比べたらまだまだ田舎だけど。
まだこの辺りも大きな建物とか、そんなに沢山建ってなかったころ、少なくとも今よりは、ずっと空気が綺麗だったの」
「・・・・・・」
「星も、綺麗に見えてたんだけどなぁ・・・・・今は、もう、見えないわね・・・」
 
少し残念かも、彼女は笑う。
 
「ねぇ、ナカジ君」
「何すか」
ずい、と隣に座るナカジに近付いて語る。
ナカジは僅かに身をそらしながら、そんな容子を子供みたいだと思う。
興味津々と言った感じで、川の中にある小石さえも宝石を見るような目で見る。
きらきら輝いて、幾つもの希望に満ち溢れている、そんな子供だ。
「いつか、キミが大人になったら、そんな世界を子供たちに見せるような人になってね」
今こうして彼に近付いている彼女は、それをそのまま大人にしたかのような。
「まだキミみたいな人が居るなら、この世の中も捨てたもんじゃないと思うの。
今君が言った、今のキミが思う正義を貫いて、出来ればそのまま大人になって社会に革命を起こしてよ。
あたしが昔に見た星を、将来キミが、もう一度見させて。そしてこれからの子供たちにも見させてあげたいの。」
 
世界にはどんな宝石より美しいものがあるのだと。
伝えたい。
世界には守るべきものがあるのだと。
知って欲しい。
 
「そんな夢物語・・・・」
「あらぁ、いいじゃない?ギタリストロマンチカ」
「ロマンチカ?ロマンスじゃなくて?」
「キミには古典的な響きの方が似合うわよ。良いの、ロマンチカで」
 
例えば彼女の見た星とか。
例えば俺の奏でる音楽とか。
いつか誰かに伝わるといい。
嫌な女だと思った彼女が、今はそれ程嫌でもない。
少々肌に痛い空気が、今はそれほど、嫌いでもない。
 
 
 
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