雨の日は、きらいだ。
否が応でも思い出し、ことごとく思い知らされる。
自分は、愛されていなかったのだと。
 
 
 
「レイニー・ザ・レイニー
 
 
 
ねっとりとした重い空気に目を覚ました。
呼吸が荒く、額に髪が張り付いていた。
最早実体など在りはしないこの身に、呼吸も発汗も必要のはずだが、
どうしてもこれは人間の気が抜けないためか、幽霊となった今でも
感覚として存在し続けている。
寝台から身を起こし、床に足を着け、そっと窓辺に近付いた。
昨日から降り続く雨が、激しく窓を叩く。耳障りなことこの上ない。
彼は窓の外を睨み付け、整った眉を眉間にじりと寄せた。
ずくり。
「・・・・・・っ」
心の片隅がそんな音を立てて低く酷く緩慢な動作で蠢いた。
今はもう存在しない心臓の辺りで質の良いシャツを握りこむ。
深く息を吐く。
雨は止まない。音が止まない。
そして彼はぼそりと、普段の彼からは想像も出来ないような、
低くどろどろした声で呟く。
「・・・・・厭な、天気だ。本当に。」
そして。
こんな時に、彼女はいない。
 
 
 
自分が愛されていないと言うことは、幼少の頃から知っていたし、諦めていた。
しかしそれでも自分は大概出来の良い息子だったのだろう。
品行方正。行儀よく、真面目で、学歴も恐らく誰もがうらやむような。
男にも女にも、老若問わずに好かれて。
そしてそんな両親にさえ、見返りを求めることもなく、
ただただ「理想的な」跡継ぎの自分を演じ続けたのだから。
 
ああけれど、私は両親が嫌いだった。
仕方が無いと、割り切ってはいたけれど。
 
「・…は。馬鹿馬鹿しい」
広間の椅子に腰掛け頬杖をついたまま、自嘲気味に言葉を吐いた。
 
ああこんな時に、貴女がここにいてくれたなら。
 
女々しいだなんて事はとうにわかりきっていた。
きっと今の自分よりは、彼女の存在によって多かれ少なかれ
穏やかな自分でいられるだろう。
「・・・・・」
雨は嫌いだ。
この日ほど他人の存在を強く求めることは無いから。
普段は自ずからそれを遠ざけるようにして日々をただ過ごしていると言うのに、
全く都合のいいときだけ利用仕様だなどと。浅ましいにも程がある。
でも、と。
ぽつりそっと声を漏らす。
きっと今なら誰も聞いていないだろうから。
 
「・・・・・逢いたい、・・・な」
 
叶わないと知っているけれど。
そっと瞳を伏せた彼には、窓の外、門から屋敷へ続く道を辿る黒い影が
見えることはなかった。
 
 
 
客が来た。
めばえのその一言に、無駄に反応してしまった自分は何だろう。
彼女が来るとでも思っていたのか。
いや、期待をしていたのかと表現した方が正しいだろう。
そっと息を吐いた。
「・・・・誰か別のひとが来ることを期待していたのね。」
すかさずそう返る声は彼女のものではなくて、小さいけれどよく通るソプラノ。
「そんなに私がここに来るのは意外かしら。」
 
以前はすんなり受け入れていたと記憶しているのだけれど。
 
そうかごめは呟いた。
時々、この少女にはひとの心を見透かす力があるのではないかと思うことがある。
「あぁ・・・・いえ。まぁ、ね。最近貴女はこの屋敷にはお見えになりませんでしたから」
「そうね、そして入れ違いにリデルがここに」
「・・・・・」
「ちがうかしら。」
ちらり、何の感情もこもっていない瞳で彼女はジズを見た。
リデルがこの男を好きだということは知っていたし、
今の彼を見ればそれは容易に考え付いた。
別にそれについては何の感慨もありはしないけれど。
めばえが注いでいった紅茶をそっと口にする。
そして。
 
「あなたは、なんなのかしら」
 
彼女にしては珍しい、少々強いその口調。
苛付いているようにも見えなくは無いが、いかんせん、その理由が
皆目見当も付かない。
かつりと小さな音を立ててカップがソーサーに戻された。
彼女の前に置かれたカップは琥珀色を揺らめかせながら、
暖かな湯気を吐き出している。
「はい?」
「あなたはなんなのかしらと言ったの」
「申し訳ありませんかごめ、言葉の意味を測りかねるのですが」
もう一度繰り返された問いに、ジズは苦笑して応えた。
「それだけ思い詰めておいて、どうして彼女が来るのを待つの。
そうして身を屈めているよりも、何よりも、行動すればいいんだわ。
道は立ち止まっていては開けないの。それをあなたは知っているでしょう」
「ですが」
「知っていて行動しないのは、ただの愚か者だわ」
ぴしゃりと、取り付く島もなく言い切られてしまった。
確かにそれはかごめの言うとおりだとは思うのだが。
 
 
 
もう、自分には実体と言うものはないのだから、
こうして傘をさす必要はないのだが。
それでも彼女と逢った時に、彼女が濡れてしまっては困る。
ぱしゃんと靴底が水溜りを踏んで跳ね返る。
それすら気に留めず、彼は歩く。
実際そんな必要も無いのだけれど。
「まぁ・・・確かに愚か者以外の何者でもありませんねぇ」
がたがたと、外気の所為ではない震えが身を包む。
雨が降っていると言う、生理的嫌悪感が拭い去れない。
だが彼女がいてくれたら、若しかしたら。
彼女に今会うことができたなら、若しかしたら。
「恋に障害は付き物とはよく言ったものですね」
雨が障害だなんて情けないことこの上ないが。
 
 
 
「・・・っえ」
キキッとねずみが小さく鳴いて、奥の方へと隠れてしまった。
驚いた彼女の小さな声は、その空洞に微かにこだまする。
「・・・・・?」
今何か聞こえたような気がしたのだけれど。
そう、あの人が私を呼んだような。
あの深く優しいテノールが。
暫く黙ってみる。
蓋の開けられた棺の中に座り、そっと上を見上げて。
待って、みる。
本当に彼ならどんなに嬉しいことだろう、そんな風に思って、
それでもそんな筈は無いと。
『・・・・嬢・・・リデル嬢、いらっしゃいますか?』
「・・・っ紳士様!?」
彼の声に間違いない。
慌てて石造りの階段を上って鉄の扉を開く。
雨の匂いが鼻をついた。
地価の暗さとは違い、曇りと言えど明るい外の世界に眩めく。
きゅ、と瞳を閉ざすと、雨の匂いに代わって彼の匂いが身を包む。
目を瞬かせて、地上に出た上半身を彼に抱きとめられている事に気付く。
「え、と・・・あの仮面紳士様?」
「・・・・居て下さって助かりました」
「え?」
「雨はね、きらいなんですよ」
ぽつりと耳元で零れた声は揺れていた。
 
 
 
屋敷に入ってめばえに紅茶と茶請けの容易をするよう言付けた。
リデルはジズの隣に座り、その手を握られたままになっている。
「私の家は、それなりの名を持った旧家でしてね、
その跡取りとして私は生まれました」
 
母は元々身体の弱い人物で、自分を生むのも命賭けだったと聞く。
だがそれは跡取りを作る為に仕方なく生んだことで。
きっと一片の愛も無かったのだろう。
そう何度も聞かされた。
 
握る手に力を込めた。
「禁忌を犯し、病に倒れ、発狂しそうに苦しみ抜いて、そして雨の降る日に死にました。
しかしそれでも、私の両親がどこか遠くの国から、この屋敷に帰ってくることは無かった。
だから雨の日は嫌いなのですよ、両親も好きではありませんがね」
「・・・・・」
そっと緩い力で握り返される。
遠い昔の自分が望んでいたのは、両親の愛などではなくて、
この手だったのかも知れない。
あの時彼女が居たら、こんなトラウマは生じていなかっただろうか。
しかしその延長線上に、現在の自分と彼女の存在は在り得ない。
「ねぇ仮面紳士様」
「はい?」
「私は、貴方が愛さなかった、貴方を愛さなかったご両親に、感謝しなければなりませんね」
 
こうして貴方に出会えたのだから。
 
「・・・・・えぇ」
 
それは、そう思う。
雨の日に死んで、両親はそれでも帰っては来ず。
そんな自分はきっと愛されてはいなかったのだ。
雨の日の埋葬は見知らぬ親戚が。
その席にすら彼らは現れなかった。
自分は、死んでも放って置かれるほどに、愛されていなかったのだろう。
けれど今、自分がここにいて彼女と結ばれていると言うことは、
彼らなしに在り得なかった。
 
「私は始めて、両親に感謝をしたような気がしますよ」
 
窓の外、木々の上。
途切れだす雨雲。
雨はもうすぐ止みそうだ。
 
 
 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送